武庫大橋の西積め付近にある 旧甲子園ホテルです。
1930年(昭和5年) 西の帝國ホテルとして建設された。

阪神間の高級社交場・甲子園ホテルとして賑わった期間はわずかに14年ほど。
その後、戦争中は海軍病院、戦後は進駐軍の将校宿舎・クラブ
米軍引き上げ後は大蔵省の管理下に置かれ、
昭和40年に武庫川学園が譲り受け、現在は甲子園会館となる。

建築の視点からも貴重なものらしく、あらためてじっくりと見学したい。
食事付きで個人の見学もあるようです。
元々建築志望だった僕には、この豊かな空間で学べる環境が魅力です。
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こなた小生の実家から徒歩10分?位でガキの頃は遊び場になってました。
当時は酷い荒れ様で一応フェンスで囲まれてましたけど特に有人警備をしていた訳でも無くいい加減なフェンスで囲まれていただけだったので勝手に中に入り所謂「冒険ごっこ?」みたいなコトをやってましたね。
空き地には雑草に混じり何故か天然の山芋があちこちに生えててよくスコップで掘り返し持ち帰ったものです。
ガキの頃ですからまさかあの建築が辰野 金吾さんやフランクさんの系譜である事なんぞ知る由も無く。
(Myブログでクーペ共々ネタにしてますよ)
更に!旧国鉄甲子園口駅と川西航空機を結ぶ線路と駅が未だ残されており武庫川沿いに有る朽ちた駅舎も遊び場の一つでしたネ。
お蔭様でガキの頃泥だらけになって遊んでいた記憶が蘇りました。
>こなた小生の実家から徒歩10分?位でガキの頃は遊び場になってました。
ここは、超がつく高級住宅街のはず。
うんちくさんの博学のルーツはここでしたか?
ブログ拝見しました。
実はうちの愚妻はここの出身でして、当時うんちくさんにナンパされていたかも?です。
いやいや、うんちくさんの目にとまるわけがないですよね。
建築的には、淡路の緑瓦を使ったり、高砂の石を使ったり、市松模様を取り入れたりで、日米のコラボでしょうか?
このせいか?本校の校舎は煉瓦色のタイルで統一されているようですね。
>当時うんちくさんにナンパされていたかも?
んまぁ人聞きの悪いコトを、確かの其方は超御近所でしたがナンパなんて野暮な事はしませんってば。
押し寄せるジョシダイセイを千切っては投げ(られ)掬っては投げ(られ)・・・シクシク。
>本校の校舎は煉瓦色のタイルで統一されている
てな訳で何度か学園祭に招待され(押しかけ)ましたが確かにね。
ただ一番印象に残っているのは木造の校舎で確かやんごと無きお方が行幸されたとか聞いてます。
まあ由緒有る学校ですからねぇ(遠い目)。
今も木造住宅は残っているのかな?
案内人を使って潜入してみようかな~。
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